“愛しのロック・スター”
2023年10月25日
目が覚めたとき、頭も体もぼーっとしていた
布団から出る気が起きないような感覚で、電気のついていない寝室は8割程度開いたドアの先からいくらか光が入ってくるだけで少し薄暗かった
布団からは出る気が起きないけれど、それでも起きて”いつもの1日”をはじめなければ
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ぼんやりする頭の中で「乱視用のコンタクト買いに行こ」と思った
夏頃から右目の視力が落ちてきたなと実感していて、最近仕事関係の方が緑内障と診断されたこともあり、久しぶりに眼科に行ってみるかと思っていたのもある
仕事はほぼ待ちの状態だから、ゆるりと準備をして販売店へ向かった
視力検査や眼圧の検査など細かく診てもらい、トータル2時間はかかったかな
「普段はライブや観劇で使いますか?」
「そうですね」
「どの距離まで見えていたいですか?」
「もう少し遠くをはっきり見たいので一段階上げたいです」
ライブに行くことはほぼなくなるのだから、そこまでこだわらなくてもいいのにな
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終わってからドトールでミルクレープとカフェモカを買った
入り口に立ててあった看板の期間限定ドリンクを飲みたいなと思っていたけれどそれは売り切れていた
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別に、コンタクトなんてわざわざ今日買いに行かなくても構わなかった
よく使うわけでもないし、なんならその辺で売ってるコンタクトのストックもまだ15回分は残っている
すぐに必要なものなんかではなかった
敢えて今日行ったのは少しだけでも社会に入ろうと思ったからだ
そして眼科にかかることは、自分の健康に対して気を遣うことになるのだから、なんだか今日はそれがいい気がしたんだ
その6日前、
2023年10月19日
その日はファンクラブ「FKSH TANK」会員の限定公演で、出だしから様子が違っていたらしい
全身全霊で3曲を歌い切ったあとスタッフに支えられてステージを降り、病院へ搬送された
翌日に控えていた公演が開催見送りとなったことはその日のうちに伝えられた
2018年に消化管出血で倒れ入院・療養され、2022年と今年はコロナに罹ったという経緯もあったためファンは全員祈るような気持ちでいたに違いない
私もそのひとりだ
公演が中止されたあとギタリストの今井さんがインスタを更新した
そこには「絶対やるから待っててね」と書かれていた
その後深夜にも更新されており、外で缶ビールを開けた写真で「とりあえず、ビール飲むか〜」と書かれていた
今回だけじゃない、今井さんのひとことに救われてきたファンはどれだけいただろう
2023年10月20日
あるファンが気付いた
ベーシストであるゆうたさんが出演予定だった11月中旬のイベントチケットが、急遽発売中止になっていたのだ
じわじわと襲う不穏さを抱えながら「いや、まさか、たまたまだよ」と自分に言い聞かせていた
その後、正式なイベント中止のアナウンスとともに、ファン向けブログの更新休止もゆうたさんご本人からお知らせされた
2018年にあっちゃんが入院しても、ゆうたさんがコロナに罹りホテル療養をしても、10年間1度も止まることのなかったブログが休止される
この時点で不穏さが一気に増大した
それでもただ静かに、なにがしかの発表を待つほかなかった
2023年10月24日
公演の中止から5日
私はその日、仕上げなければならないデザインが結構な数存在していた
次の公演も控えているため、おそらく今日中にはなにか動きがあるだろう
そのときのために仕事を早めに落ち着かせようと手を動かしていた
そして午後2時
携帯の画面に”親愛なるファンの皆様へ「大切なお知らせ」があります”との通知が表示された
血の気が引いた
見るかどうか一瞬迷ったものの、PCで公式のNEWSページをリロードする
そこには「大切なお知らせ」の見出しとツアー全公演中止の見出しも見えた
「大切なお知らせ」を開くと長い文章があらわれ、目にとまったのは「脳幹出血」「午後11時9分」「息を引き取りました」
タイミングよく家の鍵が開く音がした
夫が帰宅したのだ
すぐさま声をかけた
「今ちょうどお知らせがきたんだけど、あっちゃんが」
その先は言えなかった
その後は顔をぐっしゃぐしゃにしながら手を動かしていつものように仕事した
手足が冷え切って脱力していくらか震えもあったのでメールを打つ時に何度かミスしたりもした
クライアントに展開されたデザインは好評だったらしい
よかった、ちゃんとデザイナーできてた
よかった
今日あったこと、感じたこと、時系列
それらをその日のうちに書いておかなければ嫌だった
夜、いつも使っている手帳を開いて「名も無きわたし」を聴きながら書いてまとめ始めた
「名も無きわたし」- 名も 無い わたしに あなた と お別れ来た
「FLAME」- ずっといてね わたしの中
「夢見る宇宙」- さようならの果て 抱き合って 目を閉じたなら おやすみ
「太陽とイカロス」-悲しくは無い これで自由だ
悲しいというよりは、その詞に溢れる儚さにやるせなくなった
これまで聴いてきたものすべてが、あなたに返ってしまうではないか
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長い前置きのようになってしまいましたが、BUCK-TICKのボーカル”あっちゃん”こと櫻井敦司さんが亡くなられました。
あまりにも早く、あまりにも突然過ぎました。
デビュー35周年のアニバーサリーイヤーを完走された矢先の出来事。
ここ数年は年齢的にも「いつまでやれるか、どこまでできるか」ということをメンバーのみなさんそれぞれがそれぞれの視点で語っていたように思います。
それは悲観的なものではなくて、「有限であるからこそ今もっとやりたい」というエネルギーを増した言葉として私は受け取っていました。
コンスタントにアルバムリリースを続け、リリース後にはホールツアー、その後スタンディングツアー、年末恒例の武道館公演などその勢いは増すばかりで嬉しい反面、どうか体には気を付けて無理しないでねと思っていました。
ほぼ100%のファンがそう思っていたことでしょう。
その上で、一緒に楽しむ!ついていく!と思っていたことでしょう。
“あっちゃん”を語るとき、よく出てくる言葉は「魔王」です。
その類稀な美しさとバンドから醸し出される確立された世界観・ビジュアルからよく使われる言葉でしたが、ファン目線で見るととても穏やかで優しくてちょっと抜けていてかわいらしい、そんな印象でした。
最初は「かっこいい!!美しい!!!同じ人間か!!!」と思うのですが、知れば知るほど最終的には語彙力も吹き飛んで「かわいい」しか出てこなくなる、そんな方です。
もちろん容姿だけではなく、生と死、愛など一貫した世界観の歌詞、曲のイメージに没頭し演じるように歌うその表現力、どのステージも素晴らしいものでした。
年齢を重ねていくと声が出にくくなったり、以前の音域で歌うことが難しくなりますよね。
けれどあっちゃんからはそのような印象を受けたことがなかったのです。
それは天性のものがありつつも、やはりご本人の努力の賜物だったのではないでしょうか。
私が初めてBUCK-TICKに触れたのは2010年12月29日。
それよりも前からずっと存在は知っていました。
子供の頃に母がCDショップで働いており、私も雑務を少し手伝っていたためです。どこかでバンド名を目にして記憶していたのでしょう。
2010年といえば私はどっぷりドルヲタ状態で、モーニング娘。のライブに通っていた頃でした。
いつも一緒に娘。コンに行ってくれていた友人が「BUCK-TICKのライブ行ってみたいなと思ってるんだけど一緒にどう?」と声をかけてくれ、その時の最新アルバム「RAZZLE DAZZLE」を貸してくれたことが始まり。
私は軽い気持ちで「行く〜!」と言って一緒に出かけたのを覚えています。
初めて見る公演の1曲目はアルバムタイトルにもなっていた「RAZZLE DAZZLE」。
一瞬で度肝抜かれました。
“なんなのだろう、このなんとも形容し難い光景は。
ものすごく派手な演出というわけでもないのに、この煌びやかさ、豪華絢爛な雰囲気。
なんだこれは。一体なんなんだ。”
初めて見る世界でした。
こんな世界今まで知らなかったぞと思ったのです。
「夢魔」で会場中がずっと手を上げてるし、なんだこれ!ツンドラ教というのか!なんだこれは!!!!!
その後はお察しの通り、まずはすぐさまモバイルサイト会員になり、2011年2月には2度目のライブへ。
もちろんファンクラブ「FISH TANK」へも入会し、晴れてどっぷり沼へハマったのでした。
それから約13年。
コロナ禍での配信ライブも含め、私が参加したのは全45公演でした。
毎回毎回、新鮮な驚きと衝撃。
35年続けていながらなお、新しいことへの挑戦と意欲にあふれたバンド。
最初に見た曲「RAZZLE DAZZLE」の煌びやかさ、
タワレコカフェのニューアルバム全曲試聴デーで聞いた1曲目「cum uh sol nu -フラスコの別種-」の前奏からはしった衝撃(初聴きの心の声:”あ〜〜〜〜〜待ってなんだこれ、だいっっっっすきぃ天才ぃいいい”)、
バンドなのに何故かグッズに存在するトレカ(しかも当たりは直筆サイン入り)、
カフェのコラボドリンクで日本酒ロック出しちゃうフリーダムさ、
毎度前作を超えてくるアルバム、
ステージ上でふと見せてくれるメンバーの仲の良さ、
ファンクラブ限定ライブ「FISH TANKer’s ONLY」での写真撮影タイム(カメラマンmasaさんの「撮りまーす!」という声に対し、「はーい!!」と元気よく答えるファン)、
いつも「みなさん、どうか幸せに。幸せに」と言ってくれるあっちゃん、
ひたすらにかっこいい演奏と表現で魅せてくれる今井さん、
客席で見つけた俺ファンを撃ちまくることを覚えたヒデ、
いたずらっ子のように今井さんにアピールしては無視されるゆうたさん(たまに吹いちゃう今井パイセン)、
職人のようにドラムを叩きながらも時折ニカッと笑って捌ける時にはおどけてみせるアニイ、
思い出したら最高の記憶ばかりなんですよね。
数えたらキリがないほど、楽しませていただきました。
「ついてこい」とは言わず、「おいで」「一緒にいこう」と言ってくれる、そんな優しさにあふれたバンドです。
毎年、武道館公演を終えるとなにがしかの発表があったり、常に「次の約束」をドンと見せてくれていました。
それを見てファンは期待に胸を踊らせ、日々を頑張る。
そしてまた同じ場所に集まり、同じ時間を共有して楽しむ。
このループがずっと続いていて、このループがまだまだ続くと信じていました。
たとえ”有限”が頭の中をかすめようと、「いけるところまで」。
そう思っていたのは、私も同じでした。
個人的な話ですが、私は社会人になってからずっと「デザイナー」として運良く生きてこられています。
BUCK-TICKは曲も、アートワークも、コンサート演出も、すべてが芸術だったので私自身も多くの影響を受けてきたと感じます。
一貫した世界観を作り出す様々な要素のひとつひとつが、私にとって憧れでもありました。
これからは、いつもフロントに立つあっちゃんが居ない。
寂しいですね。寂しいです。
けれど、本当にBUCK-TICKが終わるそのときまで、私はずっと共に居ると思います。
もちろんその後も曲を聴き続けることでしょう。
なんだか上手くまとまりませんが、このあたりで。
メンバーのみなさん、スタッフさん、ご家族のかた、そして残された愛猫くるみちゃん・まるちゃん・がっちゃん。
どうか、幸せに。幸せに。