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2021.03.30 Tue

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

2007年:ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
2009年:ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
2012年:ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
2021年:シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

ということで、長きに渡り制作されてきた新劇場版がついに終わりを!迎えました。

■あなたのエヴァはどこから

私が初めてエヴァを知ったのは確か、硬筆の習い事に行っていた時だったと思います。
当時小学生で、同じ教室にいた中学生のおねえさんがエヴァについて話していたことをなんとなく覚えています。
けれど「流行ってるんだな」くらいの感覚で、ちゃんとTVシリーズを見たのは1997年の夏でした。
俗に言う「夏エヴァ(“新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に”、通称EOE)」直前の深夜帯一挙放送です。
テレビ東京で何日かにわけて放送され、私はそれを録画して夏休みのラジオ体操から帰ってきた後に見ていました。
11歳のアタマでは到底理解しきれることはなく、エヴァと使徒の表現(主にゼルエル戦)に戸惑い、見たことを後悔はしなかったものの「なんだかまだ見ちゃいけないものだったかもしれない」とは思いました。
長々と”わたしとエヴァ”を語っていても仕方ないので、シンエヴァの話まで飛ばします。(もちろん旧劇場版も鑑賞済み)

■シン・エヴァを見る上でのスタンス

初めて見た小学生当時から、考察しようという気は全くありませんでした。
それまで知らなかった小難しい用語について調べるなんてことはありましたが、基本的にはそのまま受け入れようという感覚です。
新劇場版は、TVシリーズを踏襲したような序・かなりの変更を加えてエンタメ感が加速した破・突然観客を振り切ったQ、と作品ごとに色を変えてきたような印象があります。
「破」はひとことで言うなら「ゲキアツ!!!!!」で、ポジティブなエネルギーに溢れた作品でした。
そして「Q」で一気に落とされるような、「???」が浮かぶそれまでのエヴァに戻ったような雰囲気。
元々考察しようという気などさらさらありませんが、「Q」を見たことで「やっぱり、考察なんてしたって意味がないんだ(=考えたところで当たらない)」と思い至り、「シン」に関しては「破」のようなポジティブエンタメになろうと「Q」のようなスタイルになろうと、どちらでも楽しめる自信がありました。
もう何を小難しく考えたって仕方ない、両手を広げて「たのしみまーす!」という全肯定受容のスタンスです。

■シンジに与えられた時間

「Q」のラストシーンから移動し、第3村でしばし待機(というか療養に近い)することになったシンジたちの前に、旧友であるトウジ・ケンスケ・ヒカリの姿が。
不思議なことに、ずっと見てきたこちら側としても旧友に再会したかのような気分になりました。
みんないい年の重ね方をしているのが見てわかる感じ。苦労したんだろうなぁ。
視聴者にとってはこれまで何度も目にしてきた、「ナニモシタクナイ」状態であるシンジ。
これまでは周りがアレコレ話したり叱咤したり、シンジくんがなんだかんだひとりになりきれない事が多かったのですが、今回は違いました。
しっかりとひとりの時間を与えられていた。
心配して時折会いにくる仮称レイ、気付かれないように様子を伺うアスカ、とにかく信じて待つケンスケ、気になりながらもケンスケと一緒に待つトウジ。
ネルフに追われることも、エヴァに乗ることを急かされることもなく、気の済むまでひとりでいられた。
この意味はとても大きかったように思います。
仮称レイが崩壊した時には、また元に戻っちゃうんじゃないの、、と多少ハラハラしましたが。

■推しのナレ死

あるシーンで、釘付けになりました。
防護服を着た人物の背中に「R.Kaji」の文字。
加持さん!!加持さんじゃん!!!やっぱり生きてた!と、ちょびっとチキン(TOHOシネマズのフード。美味しいよ)を食べながら心の中で大歓喜。
彼はユーロ支部あたりで生き残ってると10年以上信じてました。

しかし、防護服から出てきた顔は全くの別人。若い青年。
「これはどういうこと?ニアサーの影響でどうにかなっちゃった?」と一瞬で頭をフル回転させましたが、すぐに彼はミサトの子供だという事がわかりました。
同時に父親は加持さんであり、加持さんはニアサーを止めるために命を落としたこともわかりました。
これにはショックを受けすぎまして、一旦頭がログオフ。
推しがナレ死しました。(回想でニアサーを止めるためにミサトたちと分かれる描写はありましたが)
私としては、結構なぶん殴られ具合でした。初めてエヴァを見た11歳の頃から、シンジくんでもカヲルくんでもなく、私は加持さんが好きだったのですから。

とはいえ最後にミサトが決断したように、次の世代を残すってこういうことなんでしょうね。
次の世代こそが希望なんでしょうね。
新しい世界で、3人が幸せに生きてほしいと願います。(出てきてないけどいるよね??)

■ようやく向き合った父子

元から父子の物語は主題のひとつであったと思いますが、ここにきてようやく、、
初めて向き合うゲンドウとシンジくんを見る事ができました。
ようやく視線が交わったなと。
結局はゲンドウも孤独の人であり、それは本来ゲンドウにとって居心地のいいものであったけれどユイに出会って変わってしまった。
ユイを失って初めて、孤独の辛さを知ってしまった。
どうしたらいいのか分からずに再び、再び、と強く願ううちにこうなってしまったんだと、ハッキリと明言されました。
視聴者はずっと分かっていたけどね、それが独白というかたちで明確に伝えられたのです。
「いま自分たちに必要なのは力ではない」という、「さあ!話そう!わかりあおうではないか!」のような入り方には少し笑ってしまったというか唐突な気もしましたが、「話そう、話してみよう」ということこそがこの父子の成長のひとつ。
やっとゲンドウの心の内や心の叫びを聞けたなぁと思いました。分かっていたけどね。(2度目)
シンジくんのなかにユイさんを感じ取って浄化(この表現でいいのか謎)されていきましたが、長かったね良かったね…。実に長かった…(25年)
世界を存分に巻き込んで自己の欲求に真っ直ぐ生きてしまったために善人とは言い難いものの、ゲンドウ自身がケリをつけられたことにはいくらか安堵しました。
ネブカドネザルの鍵を取り込んでヒトの形を捨てたゲンドウを、Twitterで「ゴッドゲンドウ」と言い表している方がいてめちゃくちゃ笑いました。
ゴッドゲンドウ。強そう。息子相手に「恐れている!?私が!?(ATフィールドぎゅいーん)」は笑ってしまいましたが。父ちゃんしっかり。

■一番に救われて欲しい子

TVシリーズや旧劇場版を見ていた方はみんなそうではないかな?と思いますが、アスカには幸せになって欲しいと思っていました。
誰かと話すことは心地いい、と言って旧劇とは違う成長を見せていただけに、また不遇な目にあってほしくはないと。
ところがフタを開けてみれば旧劇のオマージュかのような弐号機の頭の吹っ飛びっぷり。しかも使徒化。目からなんか出てきたよ超痛そう。それもゲンドウの狙い通りの動きであったり…。
第3村のシーンを見ていて、ケンスケが居ればアスカは大丈夫そうだなぁと思ったので、まさかのこの不遇っぷりには頭抱えますよね。 もういつになればアスカは幸せになれるのかと思いました。もういい加減やめておくれよと。
シンジに「好きだったんだと思う」と正直な気持ちを話したところも印象的でした。
どの時点でクローンになったのか?ということが言われていますが、新劇では最初からクローンだったのではと私は考えています。
最終的にはケンスケを選んだような描写で、とても安心しました。
ケンスケはおそらく誰に対しても見守る優しさを持っているから、強く出ることも引き過ぎることもなくアスカにとって安心できる存在になるんじゃないかなと思います。

■マリという子

やはり漫画と同じ立ち位置の子でしたね。
マリは自分の中で目的がかなりハッキリしていて、ブレずに進むタイプの子だったので見ていて気持ちがよかったです。
アスカに対しても敬意を持って接しているように見えたし、誰に対してもぞんざいな扱いをせず、かつ私情を挟まず対等に接する姿勢はエヴァの中では他にない気がします。見方によっては、自分の目的のために常に相手と一線を引いて接していたともとれますが。
何より歌が〜!マリの歌が好きでした。つい一緒に歌いたくなっちゃうような。
年代を感じさせる言い回しも好き。がってんでぃ!!

■これ見たことあるぞ

シンエヴァ前半では第3村での生活が長めに描かれていました。
一見するとエヴァっぽくなく、さながらジブリのような優しい空気感で「我々は何を見ているんだ?」と不思議な気持ちに…。
けれど新劇場版から見始めた方にとっては見やすく分かりやすいので、あぁこんな感じにいくのかな、全体的に破のテンションに近くなるのかな?と頭をよぎりました。
しかし終盤、そんな予想は120%打ち砕かれました。
ゲンドウとシンジくんが互いに槍を持って物理親子喧嘩をはじめたとき、弾き飛ばされたシンジくんは青空がプリントされた布を貼ったような柔らかい壁に激突。
壁??空が??続いてない…?
ふたりがやりあっている場所は特撮の撮影セットのようで、そのほかにもスタジオのような場所、そこに投影されるTVシリーズのタイトルやロゴ…ふと出てくる原画…
あれ?これ見たことあるぞ。
旧劇場版の表現方法(メタ)ッッッッ!!!
ただそれが嫌な感じはしなく、シンジくんが世界を再構築する上での様々な可能性の表現のように感じ取れたのでポカーンとすることはありませんでした。
このメタ表現を既に経験していたこともかなり大きいですが。
様々な場所で親子喧嘩をしているときの場所については、「この空間は人間には認知することができないから、記憶から形成される」とゲンドウが言っていたので、一応理屈としては理解できる。する。しておく。

■面白くなっちゃったポイント

鑑賞した多くの方が話していますが、どうにもこうにも笑っちゃったポイントがいくつかありました。
以下、個人的に笑っちゃったポイント。
・シンクロ率無限大!!!(言葉がチープに聞こえちゃう)
・「恐れている!?私が!?(ATフィールドぎゅいーん)」
・脳髄拾って戻すゴッドゲンドウ(拾わなくていいと思うよ)
・歴代エヴァ串刺し(よくわからない小さいものまでいる)
・ドクロ顔のエヴァ(他に比べて雑に見えてしまう)
・3Dフェイス巨大顔(どうしたどうした)※虚構と現実について話してたからそれにまつわる表現?
・田植え
・人形のつばめ(それ委員長見たらどう思うよ)

■ラスト

ラストの評価は全体的にどうなのかそこまで掴めていませんが、やはり実写が出てくると一瞬戸惑ってしまうわけで。
でもマリと大人になったシンジが駆け出して外へ、からの駅の空撮を見ていて、グッとくるわけでもなく「??」と思うでもなくスーッと入ってくるままに見ていました。
シンジが再構築した世界は「エヴァのない世界」であり、実写であることで=私たちが生きているこの世界を表すのかな、と。
反対側のホームにやレイやカヲルの姿もありましたがそちらに何かアクションを起こすこともなく、マリと共に駆け出していて、駅舎を出たあたり?で主題歌「One last kiss」が流れ始める。
後にパンフレットでこの歌詞を読みましたが、一言でいえばしんどいですね!!
美しい。美しいんですよ、文句なく。でもものすごくしんどい。
それは多分、いま自分自身が幸せな環境で生きているからだと思います。
誰しもにいつかやってくるその「喪失」を思うととてつもなくしんどいですね。
そしてゲンドウの想いと重ねずには聞けない…。
「Beautiful World」も「桜流し」も、なんとなくシンジ視点で聞いていたものが、ここにきて一気にすべてをゲンドウ視点で聞くこともできるのでより一層考えてしまいますね。
似たもの親子だな、とも思えます。
まぁ、ゲンドウがいろいろなものにフタをせず、いろいろなものに向き合っていたらここまで全人類を巻き込んだ厄介者にはならなかったよね。そこは父ちゃん反省していただいて。

■総合的に見て

私は好きですね。
序・破・Q・シン、と見ていて「破」がとても好きなのですが、実は一番好きなのは「Q」なんじゃないかなと自分では思っています。
14年後に目覚めてわけのわからないまま周りにアレコレ言われ、そんななかで初めて世界の惨状を突きつけられるあのシーンがとても好きです。
身の回りのことしか見えていなかったときに突きつけられるというのが。
TVシリーズや旧劇場版から完全に流れを変えたっていうところも好きなポイントかもしれないです。
シンエヴァは前述したとおり、推しがナレ死したり面白くなっちゃったポイントがあったりしましたが、「そう終わられたのね」という納得は得られたのでよかった。

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